名古屋地方裁判所 平成9年(ワ)2473号 判決 2000年5月29日
原告
北川巧
ほか二名
被告
金子直弘 金子直秀こと金直秀
主文
一 被告は、原告北川巧に対し、金七一二六万九三一四円及びこれに対する平成六年一月三日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告北川知子に対し、金五二万七八五〇円及びこれに対する平成一一年一一月一六日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告北川克己の請求並びに原告北川巧及び原告北川知子のその余の各請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、原告北川克己と被告との間においては、被告に生じた費用の一〇分の一を原告克己の負担とし、その余は各自の負担とし、原告巧及び原告知子と被告との間においては、原告巧及び原告知子に生じた費用の三分の二を被告の負担とし、その余は各自の負担とする。
五 この判決は、第一、二項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告北川巧に対し、金一億三七六二万三一一六円及びこれに対する平成六年一月三日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告北川知子に対し、金一一八〇万〇四三〇円及び内金一五〇万円に対する平成六年一月三日以降、内金一〇三〇万〇四三〇円に対する平成一一年一一月一六日以降、それぞれ完済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告は、原告北川克己に対し、金一五〇万円及びこれに対する平成六年一月三日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告が運転する普通乗用自動車と原告北川巧(以下「原告巧」という。)が運転する自転車とが衝突し、原告巧が傷害を負った交通事故(以下「本件事故」という。)につき、原告らが、被告に対し、自動車損害賠償保障法三条又は民法七〇九条に基づいて、損害の賠償を請求した事件である。
一 争いのない事実等(証拠を示した部分以外は当事者間に争いがない。)
1 本件事故の発生
被告は、平成六年一月三日午後七時ころ、普通乗用自動車(名古屋三四さ九八五三)を運転し、名古屋市北区丸新町一六二番地先の一方通行道路(以下「本件事故現場」という。)に差し掛かった際、右道路上の横断歩道手前には一時停止の規制があり一時停止する義務があるにもかかわらずこれを怠り、漫然と自車を進行させた過失により、右横断歩道上を自転車に東って渡ろうとした原告巧と右横断歩道上で衝突し、原告巧に頭蓋骨骨折、くも膜下出血、脳挫傷等の傷害を負わせた。
2 原告巧は、平成六年一月三日、名古屋市立大学病院脳外科に入院し、同年二月一七日同病院を退院したものの(入院期間四六日)、頭部外傷性後遺症のため、同科、同病院精神科、整形外科、リハビリテーション部、名古屋市総合リハビリテーションセンター附属病院リハビリテーション科(以下「リハビリセンター」という。)、大隈病院、三宅眼科、春日井接骨院に通院し治療を続けた(甲四、五六ないし六一、乙一〇、一一、二八ないし三三)
原告巧の症状は、平成八年三月一四日、症状固定となった(甲四、二一、乙二二)。右固定時の原告巧の年齢は二六歳であった。
3 原告巧の治療費の総額は一七四万二八二三円であった。
4 原告北川克己(以下「原告克己」という。)及び原告北川知子(以下「原告知子」という。)は、原告巧の両親である。
5 損益相殺
原告巧は、本件に関し自賠責保険などから、傷害分として六五〇万八一五三円、後遺障害分として二二一九万円の支払を受けた。
二 争点
1 原告巧の後遺障害の程度
(原告らの主張)
(一) 原告巧は、本件事故による傷害により、両下肢腱反射亢進、重度記憶力障害、軽度~中度の注意力障害等の後遺障害が残った。右後遺障害のため、原告巧は母親の付添がなければ外出することができない状態となり、一人で日常生活ができず、将来にわたり介護を要する状態となった。
右原告巧の後遺障害は、少なくとも自賠法施行令別表第二級三号に該当する。
(二) 原告巧は、被告の過失行為により重度記憶力障害、軽度~中度注意力障害のほか、後退現象、脱抑制、無関心、無気力、易興奮性、発動性欠如等の後遺障害が残ったが、これらの障害は外傷性脳障害の典型的な症状である。
(被告の認否等)
原告巧の後遺障害の内容は不知。原告巧の後遺障害の等級が自賠法施行令別表第二級三号であることは否認する。
原告巧の症状は就労が終身不能ということはなく、最大に認定するとしても、自動車保険料率算定会による当初認定の自賠法施行令別表第七級四号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの。)を上回るものではない。したがって、原告巧の後遺障害等級は自賠法施行令別表第七級四号が相当である。
2 原告巧の治療費を除く原告らの損害
(原告らの主張)
(一) 原告巧の損害
(1) 通院交通費 二八万五一〇〇円
(2) 通院付添交通費 二八万五一五〇円
(3) 入院雑費 六万九〇〇〇円
一日当たり一五〇〇円として、四六日間分。
(4) 入院付添費 二九万九〇〇〇円
一日当たり六五〇〇円として、四六日間分。
(5) 通院付添費 九一万六〇〇〇円
一日当たり四〇〇〇円として、二二九日分。
(6) 休業損害 六二六万七三七九円
(店員六六六七円×八〇一日、アルバイト一一五六円×八〇二日)
(7) 将来の介護費用 三七七二万四七五三円
(治療費、通院交通費、通院付添交通費を含む。日額六五〇〇円、平均余命五一年、新ホフマン係数二四・九八四の内金請求)
(8) 逸失利益 八三七三万二〇六四円
(平成四年度賃金センサス年齢別平均給与月額表二六歳平均月額三一万七六〇〇円、就労可能年数四一年、新ホフマン係数二一・九七〇、労働能力喪失率一〇〇パーセント)
(9) 慰謝料 二五〇〇万円
<1> 入通院慰謝料 三〇〇万円
<2> 後遺障害慰謝料 二二〇〇万円
(10) 弁護士費用 一〇〇〇万円
(二) 原告克己及び原告知子の損害
(1) 慰謝料 各一五〇万円
原告知子は、本件事故後原告巧の看護及び介護に専念するため勤めを辞めねばならなかった。原告克己及び原告知子は、原告巧が意識不明の重体に陥り生死の淵をさまようような場面に陥れられたのみならず、原告巧の毎日の介護に追われ、また将来の介護をどうするかという解決の見通しのない問題に直面させられ、日々精神的に追い詰められた状態にある。原告克己及び原告知子の精神的苦痛に対する慰謝科は、少なく見積もってもそれぞれ一五〇万円を下らない。
(2) 原告知子の休業損害 一〇三〇万〇四三〇円
原告知子は、原告巧の介護のため本件事故後退職し、今目まで介護に専念しなければならなかった。原告知子は、本件事故前には月額平均一四万七一四九円の収入を得ており、平成六年一月から平成一一年一〇月までの休業損害(七〇か月分)として一〇三〇万〇四三〇円相当の損害を被った。
(被告の認否等)
(一) 原告巧の損害
(1) 通院交通費
症状固定日である平成八年三月一四日までの通院交通費は総額一九万一八八〇円であり、全額支払済みである。
(2) 通院付添交通費
症状固定日である平成八年三月一四日までの付添交通費は総額一九万八七二〇円であり、全額支払済みである。
(3) 入院雑費
入院期間は認めるが、一日当たりの入院雑費が一五〇〇円であることは否認する。入院雑費は、一日当たり一二〇〇円が相当である。
(4) 入院付添費
否認する。名古屋市立大学病院は、完全看護であり、同病院の診断書にも「要付添」とはされていない。
(5) 通院付添費
否認する。なお、症状固定日までの日数は一三八日である。
(6) 休業損害
原告巧は、本件受傷以前から既往症としての精神分裂病に基因する自閉症、対人恐怖症により就業していなかったものであり、本件事故に基因する休業損害は発生していない。
原告ら提出の休業損害証明書も、保険金を受領するために原告知子が記載させた虚偽の証明書である。
(7) 将来の介護費用
否認する。原告巧に必要とされる介護は、リハビリのための通院付添(月平均三・二回)のみであり、また、通院付添の必要な期間は長くとも三年くらいが相当である。
(8) 逸失利益
否認する。
原告巧は、本件事故以前から既往症である精神分裂病により就業していなかった。そうであれば、本件事故の受傷が存在しなかったとしても、今後就労できた可能性は乏しいといわざるを得ない。したがって、原告巧に本件事故による後遺障害が認められたとしても、本件事故と相当因果関係のある逸失利益は発生しない。
(9) 慰謝料
<1> 入通院慰謝料
否認する。
<2> 後遺障害慰謝料
否認する。原告巧の後遺障害は自賠法施行令別表第七級四号が相当である。
(10) 弁護士費用
否認する。
(二) 原告克己及び原告知子の損害
否認する。
3 原告巧の素因
(被告の主張)
原告巧には、本件事故前から精神的基礎疾患があり、これが本件事故により増悪、悪化したものである。原告巧の現症状には、原告巧の既往疾患(精神障害)が重大な影響を与えており、原告巧の現症状に対する既往症の寄与率は七〇パーセントを下らない。
4 過失相殺
(被告の主張)
(一) 原告巧は、夜間、無灯火で自転車を運転し、服装も黒色のジャンパー、茶色のズボンであった。しかも、原告巧の走行してきた道路の左方には背丈の高い雑草が生い茂り、左右の見通しが極めて悪いにもかかわらず、原告巧は、漫然と狭路から被告が走行してきた車線に飛び出した。
(二) 以上の事故状況及び態様からすれば、原告巧にも少なくとも一〇パーセントの過失がある。
第三争点に対する判断
一 争点4(過失相殺)について
前記争いのない事実等並びに証拠(乙一、二の1ないし15、三の1ないし11、原告北川知子本人)及び弁論の全趣旨によると以下の事実が認められる。
1 本件事故現場の状況は別紙交通事故現場見取図(以下「別紙図面」という。)記載のとおりであり、南北方向道路とこれに西から交差する見通しの悪いT字路交差点(以下「本件交差点」という。)であった。被告が北方から走行してきた南北方向道路には、最高制限速度時速三〇キロメートルの、また本件交差点手前において一時停止の規制があった。そして、本件交差点には、横断歩道があった。
本件事故前には、本件事故現場付近には小雨が降っており、本件事故現場付近の路面は濡れていた。
2 原告巧は本件事故時、別紙図面のとおり、本件交差点に向けて、西方から自転車に乗って時速約一〇キロメートルで走行してきた。これに対し、被告は北方から普通乗用自動車を運転し、時速約四〇キロメートルで走行したまま本件交差点に差し掛かった。そして、被告は、別紙図面<2>の地点付近で、折から本件交差点に自転車に乗り、走り出てきた原告巧を別紙図面<ア>の地点付近に発見した。そして、被告は、原告巧を認めると同時に急制動の措置を講じたが及ばず、別紙図面<×>地点付近で被告運転車両を原告巧に衝突させた。
3 なお、本件事故が起こった時刻は、午後七時ころであり、被告は自車の前照灯を点灯して走行していた。これに対し、原告巧は、本件事故当時、黒色ジャンパーを着て茶色のズボンを履き、自転車の前照灯を点灯しない状態で走行していた。
以上のとおり認められる。
なお、証拠(乙二の10、原告北川知子本人)中には、原告巧が本件事故時、自転車の前照灯を点灯していたとする部分があるが、証拠(乙二の3)によれば、本件事故後の実況見分において、原告巧の乗っていた自転車のライトダイナモ部はタイヤと接触しておらず、消灯の状態であったことが認められるのであるから、採用できない。
以上によれば、本件交差点は、見通しが悪く、夜間でさらに視界が悪い状態であり、本件事故前の小雨で路面が濡れていたこと、制限速度は時速三〇キロメートルであったこと、本件交差点手前には一時停止の規制があったこと、しかるに被告は、一時停止をすることなく、漫然時速約四〇キロメートルで本件交差点に進入したことが認められ、これによると被告に重大な過失があったことは明らかである。しかし、一方、原告巧にも、本件交差点は見通しが悪く本件交差点に入る前に交差道路の安全を確認すべきであったのにこれを怠り、しかも無灯火で自転車を運転した過失がある。
これらの点を総合考慮すれば、本件事故についての過失割合は、原告巧が一割、被告が九割とするのが相当であって、後記原告らの損害についても右割合の過失相殺がされるべきである。
二 争点1、3(原告巧の後遺障害の程度、原告巧の素因)について
1 前記争いのない事実等並びに証拠(甲一、四ないし六、二一ないし二三、二七、三七ないし三九、四二、五四、乙二二、二三の1、2、二四、二八、二九、三一ないし三三、証人吉田伸一、同五島幸明、同万歳登茂子)及び弁論の全趣旨によると以下の事実が認められる。
(一) 原告巧は、平成六年一月三日、本件交通事故により頭蓋骨骨折、硬膜外血腫、硬膜下血腫、脳挫傷、くも膜下出血の傷害を負い、名古屋市立東市民病院受診後、名古屋市立大学病院脳外科に入院し、手術を受けることなく保存的治療がされた。原告巧のその後の入通院の経緯は前記争いのない事実等記載のとおりである。
原告巧は、事故後約五日間は意識障害があり、強い刺激を加えないと目が開かないという状態であったが、その後意識が改善してから、落ち着きがなく大声を上げたり、つじつまの合わない発言をするようになった。
原告巧の同月六日施行のMRI検査の所見では、左頭頂葉にわずかな挫傷が認められ、硬膜外血腫及び硬膜下血腫が認められたが、その後、同年一一月一一日施行のMRI検査においては、異常所見は認められなかった。また、脳波についても同年一月二七日、同年二月八日の検査においてはα波にθ波が混在する現象、徐波等の異常が認められたが、同年一一月一六日施行の検査においては、後頭葉優位にα波が規則的によく出ており、左右不対称もなく、脳波検査上は正常範囲であった。
(二) 原告巧は、本件事故後二年余の治療の結果、平成八年三月一四日ころには、食事、排尿、排便、衣服の着脱、座る、立ち上がる、歩行等の動作は自立しており、手の巧緻性にも問題はなく、ごく単純な軽作業であれば作業自体は可能な状態となった。しかし、原告巧には両下肢腱反射亢進、重度記憶力障害、軽度~中度の注意力障害という後遺障害が残り、数分前のことを忘れてしまい、集中力もなく、感情のコントロールが全くできない状態となった。そして、感情を爆発させても、数分後にはそのこと自体を忘れてしまうという状態となった。このため、原告巧には他の者の監視が必要であった。
なお、原告巧には右後遺障害の一つとして病識がなく、このため、原告巧が客観的に就労可能な程度の軽易な業務には原告巧自身がこれを軽んじて就くことを欲せず、したがって右についての就労訓練に応じようとせず、その能力から判断して到底就労不能と判断される販売業務等の職種を強く希望した。そしてまた原告巧は、同様に右後遺障害のため対人関係をほとんど取ることができない状態となった。このような状態から、リハビリセンターの主治医である万歳医師においても、原告巧が就くことが可能な仕事を見つけることはできなかった。
万歳医師は、同日、原告巧の以上の各後遺障害につき症状固定であって今後はわずかの回復しか見込まれないものと診断した。
なお、後記のとおり原告巧は名古屋市立大学病院精神科において、吉田医師の診察、治療も受けていたが、同医師は、その治療を中止する平成九年四月ころ、原告巧につき、ごく軽い単純な軽作業であれば作業そのものは可能だが、これを一定の職場で一日何時間か継続し、そのため毎日通勤するということは恐らく困難であると診断していた。
(三) 原告巧は、自動車保険料率算定会において当初自賠法施行令別表第七級四号該当と認定され、平成八年五月一六日、被告の契約していた自賠責保険から自賠責保険後遺障害補償費として一〇五一万円の支払を受けた。その後、右等級の認定は変更され自賠法施行令別表第三級三号該当とされ、原告巧は、同年九月一三日、同様に一一六八万円の支払を受けた。
以上のとおり認められる。
2 被告は、原告巧の後遺障害は「神経系統の機能又は精神に障害を浅し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」(自賠法施行令別表第七級四号)を超えるものではない旨主張する。
確かに、前記認定のとおり、原告巧は手の巧緻性には問題がなく、ごく単純な軽作業であれば可能であることが認められる。しかし、前記認定のとおり、原告巧には、重度の記憶力障害や軽度~中度の注意力障害という後遺障害が残ったこと、また後遺障害のため対人関係がほとんど取れないこと、同じく後遺障害のため病識がなく、このため、原告巧が客観的に就労可能な程度の軽易な業務には原告巧自身がこれを軽んじて就くことを欲せず、したがって右についての就労訓練に応じようとせず、その能力から判断して到底就労不能と判断される販売業務等の職種を強く希望したこと、これらのことからリハビリセンターの主治医である万歳医師においても原告巧が就くことが可能な仕事を見つけることができなかったこと、また、作業自体は前記のとおり可能であったとしても、これをするため一定の職場に毎日通勤し、一定時間の継続作業に耐えることは困難であったことが認められる。そして、これらの事実を考慮すると、原告巧に客観的、身体的な能力として単純な軽作業程度をする能力が残ったとしても、その能力を活かす精神的能力が欠けた状態にあり、現実的には、原告巧に就労可能な職務を見出すことは極めて困難な状況にあるといわざるを得ない。したがって、原告巧の後遺障害は、「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの」であると認めるのが相当であり、その程度は、自賠法施行令別表第三級三号に該当するものと認められる。
他方原告らは、原告巧の後遺障害の程度につき自賠法施行令別表第二級三号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、随時介護を要するもの)に該当する旨を主張する。しかし、前記認定のとおり、原告巧については、その後遺障害により監視を必要とされる状態にあることは認められるが、介護まで要するとの事実についてはこれを認めるに足りる証拠はない。
3 次に、被告は、原告巧には本件事故前から精神的基礎疾患があり、これが本件事故により増悪、悪化したものであること、したがって原告らの損害については右に基づく素因減額がされるべきであることを主張する。そこで、原告巧に本件事故以前から精神的基礎疾患があったか否かにつき検討する。
証拠(甲三、二七、四〇ないし四二、乙三一、証人吉田伸一、同五島幸明)によると以下の事実が認められる。
(一) 原告巧は、事故による意識障害があった後、前記のとおり大声を上げたりするようになったことから、平成六年一月三一日、名古屋市立大学病院脳外科の医師の紹介で同病院精神科を受診した。
同科では浜中医師が診察したが、同医師は、原告巧及び付き添っていた原告知子の述べるところを聞き、取りあえず、以下のとおり診断し、その旨を同病院脳外科の医師に回答した。すなわちその要旨は、受傷前少なくとも七、八年前から対人恐怖離人症などがあって、自閉的な生活をしていたようだが、当時の病状の診断については今後さらに経過観察と病歴検討が必要であること、今回の脳外傷後は急性期の意識障害からせん妄の時期を経て散発的な作話を示す通過症状群へと回復しつつあり、これに伴って受傷前の精神障害が再び明確になりつつあると思われること、病変部位から考えて失語化が何らかの程度で合併していることが考えられるがこれについては今後精検を試みること、というものであった。
(二) 精神科においては以後吉田医師が主治医として担当することになり、同医師は平成六年二月三日から平成九年四月二日まで原告巧に対し診察、治療をした。同医師は、右三年余の診療の結果、原告巧は本件事故前にも何らかの精神障害があり、部分的に同じような状態がなお再現しているとの感想をもった。しかし、精神分裂病については、これを疑った時期もあったが最終的には否定すべきであると判断した。また、原告知子から原告巧の父である原告克己の奇異な行動についても聞いたが、これによる遺伝の要素も否定すべきものと考えた。
そして同医師は、平成九年四月、原告巧の治療を中止するに際し、後記五島医師に対し紹介状を作成したが、右紹介状の中で、原告巧の病名を脳器質性精神症状群、脳外傷後遺症とし、前記のような事故前の精神障害による影響は可能性として指摘するにとどめた。
(三) 原告巧は、本件事故による症状固定後、平成九年三月一八日から名古屋掖済会病院精神科に通院し、五島医師が主治医となった。そして五島医師が、同年四月四日から少なくとも平成一〇年三月三〇日まで原告巧を診察した。
同医師は現在、原告巧の症状を器質性精神症である頭部外傷後遺症であると診断している。その理由とするところは以下のとおりである。すなわち、脳外傷後の慢性器質性精神障害として精神医学的に最も問題となるものに、痴呆及び器質性人格障害があり、外傷後にみられる慢性器質性精神症状としては、いわゆる人格障害が中心となる(外傷性本性変化)こと、この人格特徴の類別として、発動性減退、感情鈍麻型(自発性、意欲に乏しくなり、感情も鈍く無欲状を示す群)、多幸型(気分が昂揚し物事を苦にせず、多弁、剽軽な群)、刺激性亢進型(易刺激性で興奮しやすく、気分が不安定な群)、情性欠如型(人間らしい情性に欠け、不道徳、反規範的行動の目立つ群)が挙げられること、原告巧は、このうち発動性減退、感情鈍麻型、刺激性亢進型、情性欠如型に少しずつ当てはまること、また、原告巧は、記銘力が劣り、爆発性、構音障害があり、他方、女性の臨床心理士から個別の心理療法を受けるや、女装をするようになるなど、精神分裂病の患者にあるような超越的なところがなく、そしてこれらの人格、態度は生来のものではなく、事故を契機に明らかに人格変容が生じており、これらによると、本件事故後の原告巧の症状は一部精神分裂病の症状と類似する部分もあるが、全体としてみればむしろ脳外傷後の慢性器質性精神障害としての症状に合致するものであり、本件事故による頭部外傷によって生じた後遺障害とみるのが相当である、というものである。
以上のとおり認められる。
なお、証拠(乙三一、証人吉田伸一)によると、原告巧の本件事故前の精神分裂病その他の精神障害を疑わせるエピソードも原告知子の事情聴取による間接的なものであることが認められ、その確実性には疑問も残り、他方原告巧が精神分裂病その他の継続的な精神障害であった旨明確に診断した医師も存しない。
以上によると、原告巧の本件症状は、本件事故に基づく頭部外傷後遺症によるものと認めるのが相当であり、本件全証拠によっても原告巧に本件事故以前に精神分裂病その他の精神障害があり、これが影響を与えていると認めることはできない。
なお、前記のとおり、平成六年一一月一一日施行のMRI検査において原告巧の脳には異常が認められなかった旨の所見があり、同月一六日施行の脳波検査においても、脳波上は正常範囲であるとの所見があるが、前記のとおり事故直後の各検査では異常が認められる上、証拠(甲五四、証人万歳登茂子)によるとびまん性脳損傷の場合画像検査などの客観的な異常が出にくいことが認められ、また、脳波上正常範囲であるとの所見もあくまで脳波上は正常であるというにとどまり、原告巧の脳に何らの異常がないことを示すものではない。かえって、証拠(甲四七、四八の1ないし4、四九)によると、原告巧の脳は、MRI検査でびまん性軸索損傷による軽度脳萎縮像が認められ、脳神経ポジトロンCT検査において局所脳血流量が両側後頭葉で軽度に低下しており、局所脳酸素代謝が全体に不均一でまだら状に低下を認め、特に両側後頭葉で低下しているとの所見もあることが認められ、右事実によれば、原告巧の脳に異常があることは明らかである。したがって、前記の原告巧の脳に異常が認められない旨の各所見は前記認定を覆すものではない
4 以上によれば、原告巧の前記後遺障害に事故前の精神的基礎疾患が影響を与えたと認めるに足りる証拠はなく、被告の素因減額の主張は採用できない。
三 争点2(原告らの損害)について
1 原告巧の損害
(一) 治療費 一七四万二八二三円
前記のとおり総額については争いはない。証拠(甲四四の1ないし3、五六ないし六〇、乙六、九、一一、一三、一五、一七、一九、二一)及び弁論の全趣旨によると、右は名古屋市立大学病院、名古屋市総合リハビリテーションセンター附属病院、大隈病院への支払に充てられたものと認められる。
(二) 通院交通費 二四万九一六〇円
証拠(甲二六、四六、五六ないし六四、乙五ないし二二、二九ないし三三)及び弁論の全趣旨によると、原告巧は、名古屋市立大学病院退院後、平成六年二月二三日から症状固定となった平成八年三月一四日までの間に、同病院に七二回、大隈病院に一〇回、リハビリセンターに一二六回(平成七年一一月三〇日までに九八回、同年一二月一日以降平成八年三月一四日までに二八回)通院したことが認められる(原告らは、この他三宅眼科及び福祉の森への通院を主張するが、その通院、治療の必要性を認めるに足りる証拠はない。)。そして、右通院等に要した費用は、名古屋市立大学病院については往復で一一〇〇円、大隈病院については往復五六〇円、リハビリセンターについては、平成七年一一月三〇日までは往復一三〇〇円、同年一二月一日以降は往復一三二〇円と認めるのが相当である(右認定額を超える通院交通費を要したことを認めるに足りる証拠はない。)。
したがって、原告巧の通院等に要した費用は、次の計算式のとおり二四万九一六〇円となる。
1,100×72+560×10+1,300×98+1,320×28=249,160
(三) 通院付添交通費 二四万九一六〇円
前記のとおり、原告巧には重度の記憶力障害や軽度~中度の注意力障害という後遺障害が残り、原告巧に対する監視が必要であることが認められ、また、証拠(甲六一、乙二三の1、2)によれば、原告知子が通院に付き添っていたこと、主治医も、原告巧が通院途中で目を離した隙に自宅に戻ってしまったり、診察を待つことができず姿を消してしまったり、病識欠如のため日常生活の聞き取りができない等があることから、原告巧の通院に際しての付添の必要性を認めたことが認められる。したがって、原告巧が通院するに際し、その監視のため母親である原告知子の付添が必要であったこと、そのための交通費として(二)と同額の二四万九一六〇円を要したことが認められる。したがって、右金額をもって本件事故と因果関係のある通院付添交通費と認めるのが相当である。
(四) 入院雑費 五万五二〇〇円
原告巧が本件事故により四六日間入院したことについては当事者間に争いがない。そして、右入院期間中要した諸雑費のうち、一日当たり一二〇〇円をもって本件事故と相当因果関係ある損害と認めるのが相当である。したがって、入院雑費の合計は頭書金額となる。
1,200×46=55,200
(五) 入院付添費 〇円
本件全証拠によっても、原告巧の入院中、付添が必要であったことを認めるに足りる証拠はない。したがって、入院付添費をもって本件事故と相当因果関係ある損害と認めることはできない。
(六) 通院付添費 四一万六〇〇〇円
前記のように、原告巧の通院に際し、原告巧の監視のため付添が必要であったことが認められる。そして、原告巧の障害の程度が、座る、立つ、歩行する等の日常生活の行動においては自立しているという程度の能力は有していたこと、原告巧の通院に際し付添が必要であったのは、原告巧の重度の記憶力障害や軽度~中度の注意力障害という後遺障害により原告巧に起こりうる事故を防ぐ監視のためであったことも考慮すると、原告巧の通院付添費としては、一日当たり二〇〇〇円をもって相当と認める。そして、証拠(甲二六、二七、四六、五六ないし六四、乙五ないし二一、二九ないし三三)によると、原告巧は平成六年二月二三日から平成八年三月一四日までの間に、合計二〇八日間通院をしていることが認められる(原告らは、この他三宅眼科、春日井接骨院、福祉の森への通院を主張するが、その通院、治療の必要性を認めるに足りる証拠はない。)から、本件事故と因果関係のある損害としては、頭書金額をもって相当と認める。
2,000×208=416,000
(七) 休業損害 五四七万一一〇四円
(1) 原告巧の本件事故前の基礎収入について
ア 証拠(甲一六ないし一九、二四、五五、六一、原告北川知子本人)によると、原告巧が、本件事故前、渡辺勝也が経営する魚仙と称する魚屋(以下「魚仙」という。)及び有限会社味美会館経営のぱちんこ店(以下「味美会館」という。)でアルバイトをし、魚仙からは九二日間で合計六五万円の給与収入を、味美会館(週六日勤務)からは九二日間で合計一〇万四〇〇〇円の給与収入を得ていたことが認められる。したがって、これを前提に原告巧の本件事故前の現実の収入につき日額を算出すると魚仙については七〇六五円、味美会館については一一三〇円で合計八一九五円となる。
650,000÷92+104,000÷92=8,195
イ これに対し、証拠(乙三一)によると、吉田医師が原告知子から聞き取った内容を記載した診療録には「六、七年前から魚屋で働いていることに保険の関係でしているが、実際には働いていない。」との記載があることが認められ、これによると、原告巧が前記のとおり魚仙に勤務していたとの認定に疑問があることになる。次に味美会館の勤務については、証拠(甲一)によると、原告知子が記載した原告巧の事故前の行動についての記載(甲一)中に原告巧の味美会館でのアルバイトは日曜日のみである旨の記載があることが認められ、これによると味美会館の前記勤務日、収入額に疑問がある。更に証拠(甲五五、乙三七)によると、味美会館の休業損害に関する証明書(甲五五)には原告巧が平成三年一一月一日から味美会館で勤務していた旨記載されているにもかかわらず、一方原告ら代理人作成の書面(乙三七)には原告巧は平成五年春に東京から名古屋に戻り、しばらく後に味美会館に就職した旨記載されていることが認められ、これによるとその勤務期間にも疑問があることになる。
ウ しかし、証拠(甲二五、原告北川知子本人)によると、「六、七年前から魚屋で働いていることに保険の関係でしているが、実際には働いていない。」との記載については、原告巧は、本件事故の相当前から前記のとおり魚仙で勤務していたが、その前はうどん屋等に勤務していたこと、原告知子は、保険会社に対し、原告巧の従前の職務歴を報告するに際し、右のように職種を転々としたことを逐一あげるのは煩瑣であり、他方、必要な休業損害証明書は、直前の勤務先からのものがあれば足りることから、魚仙に六、七年前から継続して勤務していた旨を報告したこと、原告知子は右の経緯を吉田医師に説明し、吉田医師は右の事実を記載する趣旨で、前記の記載をしたことが認められる。
次に味美会館に関しては、証拠(甲五五、原告北川知子本人)によると、原告巧の味美会館でのアルバイトは実際には週一回、火曜日のみ休みであること、原告巧の味美会館での勤務期間は平成三年一一月一日から平成六年一月二日であったことが認められ、原告知子の作成した日常生活状況報告表(甲一)、原告ら代理人が作成した報告書(乙三七)の記載中、右認定に反する部分は誤記と認められ、したがって、いずれも前記認定を覆すものではない。
(2) そして、証拠(甲一九、乙二五、二六、原告北川知子本人)によると、原告巧の休業期間は、症状固定日である平成八年三月一四日まで、魚仙については八〇一日間、味美会館については八〇二日間であったことが認められる。
ところで、証拠(原告北川知子本人)及び弁論の全趣旨によると、原告巧の本件事故前の生活は、四、五か月働いて一、二か月アニメ作品の制作に集中するということを繰り返すものであったこと、そのため原告巧の就業先は数か月ごとに替わっていたことが認められる。右によれば、原告巧が一年のうち働いていた期間は多くても一〇か月ほどであったと認めるのが相当といわねばならない。
そして右事実も考慮すると、原告巧の休業損害は、左のとおり認めるのが相当である。
(7,065×801+1,130×802)×10÷12=5,471,104
なお原告らは、右休業損害の額につき被告に自白の撤回があった旨主張するが、本来休業損害は、原告らの損害額の一部を構成するにすぎず、格別その認否につき自白が成立するものではないから、原告らの右主張については判断しない。
(八) 将来の介護費用 一八二一万四二三〇円
前記のとおり、原告巧は日常生活に必要な行動については自立しているが、しかし、原告巧は本件事故による後遺障害により重度記憶力障害、軽度~中度の注意力障害という後遺障害が残り、そのため原告巧に事故等が起こることを防止するための監視が必要であること、原告巧の右症状については今後わずかの回復しか見込まれない状況であることが認められる。そして、前記のとおり、原告巧につき、随時介護の必要性があるとまではいえないが、このような原告巧の状況を考慮すると、原告巧には将来にわたる付添の必要が認められ、その額は一日当たり三〇〇〇円、その期間は原告巧の症状固定時である平成八年三月一四日(前記のとおり原告巧の当時の年齢は二六歳である。)から平均余命である七七歳(平成八年簡易生命表)までの五一年間と認めるのが相当である。そして右費用を、年五分のライプニッツ係数で中間利息を控除して計算すると、頭書金額となる。
3,000×365×(18.4934-1.8594)=18,214,230
なお、原告らは将来の介護費用に治療費、通院交通費、通院付添交通費を含めて主張するが、症状固定後の治療の必要性を認めるに足りる証拠はなく、右主張は認められない。
(九) 逸失利益 六二二七万七二八七円
(1) 前記のとおり原告巧が一年のうち働いていた期間は多くても一〇か月ほどであったと認められ原告巧の本件事故前の収入はアルバイトによる収入である日額八一九五円であったのであるから、原告巧の本件事故前の現実の年収は、二四九万二六四五円であったと認めるのが相当である。
8,195×365×10÷12=2,492,645
(2) しかし、右のとおり、原告巧の本件事故前の現実の収入は、その不安定な生活状況、就業状況に基づくもので、将来にわたり継続するとは考えられないこと、他方、症状固定時である平成八年度賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者の該当年齢の平均賃金が四二五万六七〇〇円であり、同表産業計・企業規模計・学歴計・全年齢・男子労働者の平均賃金が五六七万一六〇〇円であることを考慮すると、原告巧は、本件事故により後遺障害を負わなければ、症状固定時である二六歳から就労可能な六七歳に至るまでの四一年間、平成八年度賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・全年齢・男子労働者の平均賃金(五六七万一六〇〇円)の少なくとも七割の収入を得ることができたものと推認することができる。
ところが、前記のとおり、原告巧には本件事故により自賠法施行令別表第三級三号に該当する後遺障害が残り、就労可能な職務を見つけることが極めて困難な状態となったのであるから、その労働能力を一〇〇パーセント喪失したと認められる。
したがって、年五分のライプニッツ係数により中間利息を控除して原告巧の逸失利益の現在価格を算出すると、頭書金額となる。
5,671,600×0.7×(17.5459-1.8594)=62,277,287
(一〇) 慰謝料 一九四〇万円
(1) 入通院慰謝料 一九〇万円
原告巧が本件事故により頭蓋骨骨折、くも膜下出血、脳挫傷等の傷害を負い四六日間入院したことについては当事者間に争いがなく、前記のとおり、原告巧は平成六年二月一七日に退院後、同年二月二三日から症状固定時である平成八年三月一四日までの間に合計二〇八日間通院を要したことが認められる。
これらの事情に照らせば、原告巧の入通院慰謝料は、一九〇万円をもって相当と認める。
(2) 後遺障害慰謝料 一七五〇万円
前記認定のとおり、原告巧には、本件事故により自賠法施行令別表第三級三号に該当する重大な後遺障害が残ったことが認められ、原告巧の前記の後遺障害の症状、程度その他本件記録に現れた各事情を総合して判断すると、後遺障害慰謝料は一七五〇万円をもって相当と認める。
(二) 以上の合計は、一億〇八〇七万四九六四円となる。
2 原告克己及び原告知子の損害
(一) 原告知子の休業損害 五八万六五〇〇円
原告らは、原告知子が原告巧の介護のため本件事故後退職し、今日まで介護に専念しなければならなかったと主張する。
しかし、証拠(甲四、乙三三、証人万歳登茂子)によると、原告巧は対人関係をほとんど取ることができない状況であるとはいうものの、ごく限られた範囲では他者との関わりが持てるようになっていたことが認められ、前記認定のような原告巧の後遺障害の内容と程度、これらから推認される原告巧の症状固定時までの状況をも合わせて考慮すれば、必ずしも原告知子が就業先から退職し介護に専念しなければならなかったとまでいうことはできず、原告知子が就業先から退職したことによる損害については、本件事故と相当因果関係のある損害と直ちにいうことはできない。
もっとも、原告巧の後遺障害の内容及び程度等から推認される原告巧の症状固定時までの状況からすると、特に原告巧の監視等が必要であり、このため、平成六年二月一七日の退院後、症状固定日である平成八年三月一四日までの間(三九一日間)、前記通院付添費とは別個に、前記認定の将来の付添のための費用の二分の一相当の費用は要したと認めるのが相当である(同日以降の費用については、既に前記の将来の付添のための費用において評価済みである。)。したがって、原告知子に生じた損害のうち右の限度においては、本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。
以上によると、頭書金額となる。
1,500×391=586,500
(二) 慰謝料 〇円
原告らは、原告知子が本件事故後原告巧の看護及び介護に専念するため勤めを辞めねばならず、原告克己及び原告知子は、原告巧が意識不明の重体に陥り生死の淵をさまようような場面に陥れられたのみならず、原告巧の毎日の介護に追われ、また将来の介護をどうするかという解決の見通しのない問題に直面させられ、精神的苦痛を被ったとして慰謝料を請求する。
確かに原告克己及び原告知子が背負わねばならない付添の苦労や将来への不安には多大なものがあると思われる。しかし、前記認定のような原告巧の後遺障害の内容と程度及び本訴によって原告巧に付添費用等も含む相当額の損害賠償がされ、原告知子に前記の損害賠償がされることも考慮すると、原告克己及び原告知子に固有の慰謝料請求を認めるまでにはなお至らないというべきである。したがって、原告克己及び原告知子の慰謝料請求は理由がない。
四 前記の原告巧及び原告知子の損害につき前記割合の過失相殺をすると、原告巧の損害額は九七二六万七四六七円、原告知子の損害額は五二万七八五〇円となる。
五 弁護士費用
本件認容額、事案の内容その他諸般の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある弁護士費用としては、原告巧について二七〇万円を認めるのが相当である。
六 既払
前記のとおり、原告巧は本件に関し自賠責保険等から既に合計二八六九万八一五三円の支払を受けた。
七 結論
以上の次第で、原告らの被告に対する本訴請求は、原告巧が被告に対し損害金七一二六万九三一四円及びこれに対する不法行為日である平成六年一月三日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告知子が被告に対し損害金五二万七八五〇円及びこれに対する不法行為日の後である平成一一年一一月一六日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度で理由があるからこれを認容し、原告巧及び原告知子のその余の請求及び原告克己の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、主文のとおり判決する。
(裁判官 北澤章功 榊原信次 山田裕文)
交通事故現場見取図